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指令員のつぶやき…
・当方の通信環境が極端にナローなため、画像(特に元のサイズのまま)を多用されたサイトは「×」だらけになってまともに表示できず見ることができていません。欠礼中の方々はなにとぞご容赦を・・・
・何が原因かわかりませんが、ブログにアップロードした画像のパスが変わっているところがあるようです。どうしたものか…
・先代の臨終に伴いカメラを買い換えました。それにしてもどうしてディジタル一眼というのはこれほど中途半端な大きさなのでしょうか。撮像素子の大きさを考えれば、ボディの大きさはキヤノンIXEやニコンプロネア並でなければおかしいでしょう。もっと小さくて大口径のレンズも出てきてほしいものですし・・・。
・デフォルトのブラウザーをGoogole Chromeに変更したところ、表示がだいぶ変わってしまってびっくり…
鳥飼(公園)
0系の定期営業運転が終了したそうなので、直接の関係はありませんが、鳥飼(の公園)に保存されている車輌の写真を挙げておきます。
大阪貨物ターミナルの北側の保存車輌。
0系先頭車。形式番号を確認し忘れていましたが、検索すると21型75号だそうです。

屋根がありますが、傷みは避けられないようで、一番の特徴のボンネット上がひどいことになっています。(大阪貨物ターミナルは写真の右手)
※0系退役が近づくにつれて改めてあちこちで目に付くようになった「夢の超特急」に関しての余談。
新幹線建設当時のマスコミの論調が否定的で、同時期にマスコミが造った言葉が「夢の超特急」だったとか。そのため国鉄時代は新幹線の関係者が絶対に使わなかったと、何かで読んだ記憶があります。「夢の超特急」とは「夢(=実現不可能)」という否定的な意味がこめられていた、ということなのでしょうか。だとすると、いくら時が流れたとはいえ、そんな言葉をJRでも車輌製造会社でも鉄道雑誌でも平気で使っていていいのか、という気がします。
記憶の美化やら、新幹線の成功を確認した後の「後知恵バイアス」やら、さまざまな影響があるのでしょうが、それにしても
嘲笑的な「夢の超特急」
が、わずか40年ほど(もっと以前からでも)で
期待の「夢の超特急」
に仕立て上げられてしまったのだとすると、明らかな歴史の捏造に恐怖を覚えずにはいられません。もっともこの場合は「主犯」が自浄能力とは無縁のマスコミ自身になるので、検証されて過ちが改められることは永久に無いのでしょう。
本来は蔑称だったものが美化されるという同じような例は、昭和に入ってからの国鉄に限っても枚挙に暇がありません。「スタイルの美しさ」にすりかえられたC57の「貴婦人」はわかりにくいですが、東海道全線電化時のつばめ・はとの「青大将」などは実にあからさまです。D51を「デゴイチ」と呼ぶのも、見苦しい位置にある給水暖め器を揶揄する言葉で、本来は「デコイチ=額(デコ)に一(イチ)の字」と濁らなかったそうです。さすがにDD51の「赤豚」が「親しまれていた」という記述は現時点では無いようですが、「D51原型は”なめくじ”と呼ばれて親しまれた」という記述は見かけたことがあります。「赤豚」もいずれ親しまれていたことにされてしまうのかもしれません。(それにしても、どう考えれば親しみをこめて「なめくじ」「青大将」と呼ぶ、などということがあると思えるのか、全く理解できません。)
この0系も国鉄時代には節操の無い大量生産のせいもあってか、「車輌の個体差が少なく、旧客や旧国のようには、趣味の対象になりえない云々」と鉄道雑誌で非難されていたのを読んだことがあります(たかだか20年少し前の話です)。それが、無くなるとなったら相変わらずの大騒ぎ。「歴史は(愚かにも)繰り返される」ことにほとほとうんざりさせられます。
さすがに某誌がでっち上げたらしい「国鉄メーク」なる不気味な造語は死語になってしまいましたが、歴史的な反省も無く濫発される、無節操で感傷的な国鉄型/国鉄色礼賛記事(しかも対象は国鉄末期ごろには上の0系同様の理由で酷評されていたものばかり)を見ると、将来にわたる「愚かな歴史の繰り返しの種」がしっかりと播かれていることを思い知らされて、暗澹たる気持ちにさせられます。
隣に保存されているEF15。

ナンバープレートが木製の物になっています。(この写真では大阪貨物ターミナルは左手)
おまけ1。大阪貨物ターミナルの着発線。

全体を見渡せる場所は見つかりませんでした。
おまけ2。新幹線の鳥飼基地の京都寄りにある、造りっぱなしで放置されている乗り越し橋。

新幹線の貨物列車用に準備されたらしいですが、新幹線の貨物運行は世銀の融資を受けるためのハッタリだったと書かれている本も見たことがあります。真相はどうなのでしょうか。
おまけ3。大阪府中央卸売市場付近の貨物支線。

右が吹田信号場方向で、かつては吹田信号場へ戻る方向に分岐して卸売市場に線路が延びていました。(線路は今でも残っているのかもしれませんが。)
市場の開設は昭和53年ですが、大阪貨物ターミナルの開業が昭和57年なので、引込線も同じころに使用開始されたのでしょう。ところが昭和62年には列車で運ばれてくる品物はすでに無いということでした。ため息が出るほどのもったいなさです。
参考:「大阪府中央卸売市場 鉄道引込線」(大阪府発行のパンフレットの表紙写真より)

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